あの時のマックスむらいは何が凄かったのか

リンク:マックスむらいが人気の頂点で見た地獄──「私は好きなことで生きてはいけない」仕事への責任や使命感を背負って戦う生き様 https://originalnews.nico/270489 

本エントリはこの記事を読んでの感想というか、振り返り的な内容です。

ゲーム実況が仕事になった

 2013年、既にスマホも動画サイト、スマホアプリのゲームもポピュラーな存在だった。そう書くとそんな昔の事ではないように思えるが、現在とはいろいろと世相が違っていた。スマホアプリはガチャでレアキャラを引くだけのゲームと思われていたし、動画サイトへの投稿も個人の趣味と思われていた。ニコニコ動画では「技術の無駄使い」「野生のプロ」という言葉が褒め言葉として使われていた。見返りも無いのに面白い動画をUPすることが投稿主の「粋」だった。ゲームのプレイ動画も趣味of趣味だった。

 そんな中、Appbankがやったのがパズドラの攻略をライブ動画にするというものだった。内容はスーパープレイでも役に立つ攻略でもなく、見知らぬおじさんが何回もコンテニューしながらプレイするというもの。そのおじさんがマックスむらいだった。

 商業コンテンツとしては型破りな内容だったがニコニコ動画の視聴者カウントで16万人。個人の放送だったら凄いで終わるが、企業ベースのコンテンツでこれが成立したということは「ゲーム実況が仕事になった」ことを意味していた。

4秒に社運を賭ける

 その後パズドラ動画はショーアップしてゆく。特に人気だったのが高難易度ダンジョンに挑む「降臨戦」。生放送と同時に配信される新ダンジョンをノーヒント1発勝負で攻略するという番組だった。見事ノーコンクリアするとガンホーから全パズドラユーザーに魔法石(課金アイテム)がプレゼントされる。

 何百万のユーザー×アイテムの金額、に相当する額を賭けているようなもので、それでなくてもAppbankのブランド力、スマホアプリ業界の盛り上がりなど諸々のプレッシャーがかかっていたと思う。まさに社運を賭けているような印象だった。ちなみに4秒とは当時のパズドラの操作可能時間。4秒内に揃えるドロップを全て揃えなければいけない。当時出演したプレイヤーは揃って、手が震えてどうしようもなかったと言う。

「落ちコン」を呼び寄せる

 ショーアップされた中でクリアを決めてゆくことはもちろん「凄い」が、もう一つ「運を呼ぶ」ことも重要だった。当時のパズドラは今ほど便利なスキルは無かったから運の要素も強かった。

(画像:パズドラ生放送 2周年記念 ~降臨チャレンジ10本勝負~ より)

 印象深いのが「パズドラ生放送 2周年記念 ~降臨チャレンジ10本勝負~(2014年2月)」のゼウス戦におけるフロア4。火・水・木の3種類のキマイラが2体ランダムで出現する。ここで最も有利な「水・水」を引いたのだ。その確率1/9。この組み合わせ以外だとクリアできなかったと思われる。

 その次の最終フロアもギリギリだった。初手で威嚇スキルを使いゼウスの行動ターンを遅らせる。攻略スタッフのノートPCを囲み、攻撃力をシミュレーションする。2ターン目。全スキルを使い、盤面を木ドロップだらけにする。「分割したほうが良いか?」「20個繋げたほうがいいか?」緊張が走る。「現在視聴者数140万人突破しています!」のアナウンスが耳に入らない。「木を20個繋げます!」 その後、無理と思われた「ゼウス降臨ノーコン」を達成した。

 同年夏の「にこにこ23時間テレビ」内で行われたチャレンジも印象深かった。「火の落ちコンが3つぐらい降って来い」と叫ぶマックスむらい。「相当無理だ」と笑いが漏れるぐらいでたらめな願望だったが、その後落ちコン5コンボ(内火2コンボ)が降ってきてボスをワンパン。当時の「マックスむらいとパズドラ」には変なカリスマ性があった。

それが未来だった

 2014年は思ったより昔で、何しろユーチューバーという言葉が無かった。動画で生計をたてるという概念が無かった。その時代に「スマホでゲームをしてるだけで仕事になるしカリスマにもなれる」「背後でダメージ計算をするだけでも出演者になれる」という図を見せたのだからそれはもう斬新だった。数年後の未来を先取っていたし、歯車が勝手にやって来て全てが噛み合うようなエキサイティングな出来事だった。

 現在のYouTubeでの動画はアウトドアな内容で当時とはだいぶ趣が異なる。2014年の再現は無理と語っていたし、時代が動く時だからこその輝きだったと思う。未来を見せてくれてありがとうございました。

 

解説)降臨チャレンジ10本勝負とは

 2014年2月にニコニコ生放送で配信されたガンホー公式番組。パズドラ2周年を記念して配信された。(現在アーカイブは非公開だがyoutubeで…)ニコファーレからの生配信という形式で、収容人数は少ないものの一般席もあった。

 周年記念番組は毎年恒例で行われているが、この回はマックスむらいの降臨チャレンジのみで構成され当時の勢いを物語っている。

 

「赤ブーブー通信社(有限会社ケイ・コーポレーション)」代表 田中圭子さん逝去

女性向け二次創作を中心に同人誌界の広がりを支えてきた「赤ブー」の田中圭子さんが逝去しました。

謹んで哀悼の意を表します。

当方のジャンル的にはご縁が無かったのですが、「晴海以前」の世界を知る方がこの世を去ってゆくことに無常を感じます。同人誌即売会のオーラルヒストリーの蓄積が急がれるなと思いました。

田中圭子さんのロングインタビューを行った同人誌がありますので紹介します。私も持っていますが、こういう同人誌語りは男性中心になりがちなので貴重な本です。